ありがとう ― the 1st love to you ―

― 1 ― やる気があるのか。 そう訊かれる度に僕はないと応えた。 やる気がないのなら辞めれ。 そう言われて、僕は辞めた。 でも、辞める必要があったんだろうか。 かと言って、辞めないほうが良かったとも言い切れない。 僕は中途半端な人間だ。 気に入ったという理由で何事にも挑戦し、結果としてその全てに挫折する。 気に入らないという理由で何事も投げ出し、結果として何も得られない。 その為の金や権力は、親が用意してくれる。 テストの点数が低いから、金で教師を買ったこともあった。 友達に殴られたから、権力で退学させたこともあった。 それらの報復はすぐになされた。 僕は抵抗もせず、その報復を噛み締めた。 忠告を受けただけの時もあった。 半殺しにされた時もあった。 でも、それだけだった。 僕を殺そうとする奴はいなかった。 殺してくれたって構わなかった。 こんなつまらない日常には飽き飽きしていた。 僕は誰かに救って欲しかった。 ― 2 ― そうして歳を重ね、僕は高校生になった。 今までみたいに無意味に金と権力を振りかざすことはほとんどなかった。 そうしたって、何かが変わるわけではないとようやく気付いたからだ。 そのうち、報復をされることもなくなっていった。 僕はいつの間にか普通の人と大差のない生活を送るようになった。 僕は救われることを望んでいた。 ― 3 ― 通勤ラッシュ時の混み具合は半端じゃなかった。 それが高校生活で初めて寝坊した時の感想だった。 僕の通っていた高校は自宅から多少遠いところに在ったため、必然的にバス通学を強いられていた。 両親は共にそれを反対した。 登下校の際に金持ちの象徴とも言えようリムジンを用いることを強く勧めたのであった。 でも、僕はそれをしなかった。 はっきり言って、バス通学は面倒臭い。 夏は暑く、冬は寒い、何より乗換えをしなければならなかったので、手間が掛かった。 それでもバス通学にしたのは、自分の考えを変えたかったからだった。 僕は誰かにもう救われることを望んではいなかった。 自分自身の力で何かを変えようとしていた。 結果として、僕はバス通学をすることになっていた。 そして、そのことは確かに僕を変えさせてくれた。 「まもなく、―――。」 車内に、聞きなれた電子音が響く。 そんな些細なことでさえ、僕の気分を害していた。 理由は単純、人が多過ぎるからだ。 せまい車内に収まる限界以上の人間を乗せたバス、そんなところにいれば誰しも自分と同じように考えるだろう。 バスが少し揺れただけでも車内は大騒ぎになる。 騒ぎが収まったと思ったら、バスがまた揺れる。 それの繰り返しだった。 いい加減にして欲しい。 それだけだった。 バスは最後に大きく揺れ、そのスピードを完全に停止させる。 車内はそれを既に予期していたのだろう、さして騒ぎになるようなものじゃなかった。 「ふぅ。」 この停留所でかなりの人が下車することは既に頭の中に入っていた。 座席には着くことはできなかったが、先ほどのように神経を尖らすようなことはなかった。 やがて人の移動の波は終わり、もうそろそろ発車だろうと思っていた時、 「待ってくださいっ!」 バスの入り口付近から発せられる叫びと表現してもおかしくないほど大きな声。 何事かとそちらへ視線を走らせる。 「はぁ、はぁ、はぁ、・・・、ふぅ。」 そこには息を荒げながら、バスに乗り込もうとしている少女。 着衣していた制服から自分と同じ学校の生徒だということが分かる。 そして、その右手に何気なく握られている杖。 テレビゲームなんかにある無駄に細工を施した杖ではない。 真っ直ぐで淡白な棒に、特殊な構造をしたグリップ。 より現実的にそれでいてローコストを目指したかのような単純な杖。 そんな杖を自分とそう変わらない年頃の少女が持っていることに激しい違和感を感じた。 そして、乗り込もうとしている、この表現は正しくも曖昧な表現だった。 健康な肉体を有する若者であれば、そう困難にならないであろう入り口の段差。 そこを時間と手間を掛け、着実に上ろうと試みている少女。 そんな情景を目にしたのならば、こう考える以外、他よりなかった。 この少女は足が不自由だと。 かなりの時間を費やした少女の乗車は、乗客のストレスを貯める原因となっていた。 そんな中、申し訳なさそうにしている少女。 原因は彼女のせいではないだろうに。 ようやく、僕の下車する停留所が近づいてきた。 いつもより遅い時間帯であるが、何もなければ遅刻しないで済みそうだった。 何もなければ、だった。 目の前には先ほどの少女。 自分と同じ学校なのだから同じ停留所で下車するのは当たり前だった。 乗車にあれほど時間を費やしたのだから下車にはそれ以上の時間を費やすだろう。 そう考えるのは難しくなかった。 「・・・。」 少女は危なっかしい足取りで一段ずつ降りようとする。 まどろっこしい、その一言に尽きる姿だった。 何より自分の後ろには更に怒気を募らせた人達がいる。 仕方がない。 後でお咎めを喰らう可能性も否定はできなかった。 でも、この状況下にいることが僕には耐えられなかった。 「すまない。」 そう一言。 少女の脇をすり抜け、いち早くバスから飛び出さん勢いで降りる。 このままこの場をさっさと去りたかった。 しかし、そんなことをすれば、白い目で見られ罵声を浴びるのは目に見えていた。 僕は、そんな何もしないくせに道徳を訴え掛ける奴は嫌いだった。 「捕まれ、そんなにのろのろしていたら、遅刻する。」 彼女に向け、右手を差し出す。 バスの段差のせいで必然的に生まれた高低差、少女の腕の長さを考えた上での行動。 「えっ、・・・あの・・・」 「早くしろっ。」 「はっ、はい。」 少女も杖を握っていない左手を伸ばし、その手が僕の手と重なる。 そして、それを思いっきり引っ張る。 「わっ、きゃあ。」 予想外の行動なのかそれに驚く少女。 そして、少女の体はこちらに向かって倒れてくる。 少しはバランス感覚というものはないのか、そう感じられるほどの鈍さだった。 「・・・ッ。」 倒れてくる少女を抱きしめるようにして受け止める。 身長差が結構あったにも関わらず、その衝撃は軽くはない。 倒れそうになった体を後ろに下げた左足で踏ん張った。 羞恥心がなかったわけではない。 むしろ、こんな行動をとりたくはなかった。 かと言って、突然の出来事にこれ以外に対処しようがなかった。 「「・・・。」」 長い沈黙が2人の間を駆け巡る。 とりあえず、少女を地面に下ろす。 そうして、少女に異常がないかを確かめる。 足に無理をさせた形跡もなく、他のところにも異常が感じさせるような気配はない。 そこで、不意にあることを思い出す。 ここが公衆の面前だということを。 「チッ、急げっ。」 急に羞恥心が込み上げてくる。 少女のほうを見ながら、自分だけは距離をとるようにした。 片方の足を動かせない少女にとっては走ることなんて不可能。 急ごうにも急げないのである。 自分だけこの場から立ち去る。 そんな考えは浮かびさえしたが、実行には移せそうもない。 自分は案外、世話焼きをするタイプだったのかもしれない。 「・・・。」 そんな考えを渦巻かせている間に、少女は自分のほうへ歩み寄る。 「すまない、要らんお節介だったようだ。」 既に先ほどまでいたギャラリーは消えている。 バスは既に停留所を後にしており、下車していた人々も後ろ姿が見えるだけである。 今更ながら、先ほどの行為を悔いる。 自分が首を突っ込まなかったら、たとえ遅くても何事もなく学校に行けただろう。 教師のほうも少女の足のことは知っているだろうから、酷いお咎めなんてないはずだ。 「べ、別に良いですよ。」 頭を下げる自分に、怒りや不満を感じさせる様子のない少女。 「それよりももう行きませんか。流石に遅刻にはなりたくないですし。」 そういえば。 そう思って、左腕に巻かれた腕時計で時間を確かめる。 余裕があるとはいえないが、何とか間に合いそうだった。 「・・・すまなかったな。」 何となく、先ほどのように単純な謝罪の意があったわけでもなく。 自然と口から吐き出された謝罪の言葉。 「だから・・・。もう行きましょうっ。」 満面の笑みを浮かべながら、歩くことを促す少女。 何故、こうも楽しげに嬉しげに笑えるのだろうか。 「・・・あぁ。」 その時の僕には理解できなかった。 「お前、朝からいちゃつくなよ。」 「はぁ?」 突然の声に驚かされる。 後ろにいたのはいつものあいつだった。 目鼻立ちが良く、背が高い。 一見、モデルやホストの様にさえ見える外見とは裏腹に、性格は捻曲がっている。 他人の不幸は密の味、そんなオーラを体中から漂わせてる奴だ。 「だから、今朝の一件。」 あの恥ずかしい光景が再び展開を始める。 「お前・・・見てたのか。」 一番見られたくない奴に見られてしまったようだ。 こいつは人の弱みに付け込むのが大好きだった。 「違う、違う。俺が現場にいたら如何なると思ってんだ。」 ニヤニヤしながらこちらの行動を伺ってくる。 確かにこいつがその場にいたら、写真とか押し付けてくるはずだ。 今はその様子も見られず、単純にからかっているだけのように思えた。 「で、如何するんだ。恋愛なんてしたこともなかったお坊ちゃんが。」 いちいち核心をつくような言葉を投げ掛けてくる。 しかし、少女にそんな感情を抱いているわけではない。 「そんなんじゃない・・・。」 ただ、少女の笑っている理由を知りたかっただけだった。 ― 4 ― 僕はその日から勧んで、そのバスで登校するようになった。 時間に余裕のない日もあったし、本当に遅刻してしまった日もあった。 でも、それ以上に少女について知りたかった。 片足を動かせずにいるくせに、何故僕よりも楽しそうなのか。 そうやって、傲慢を押し付けながら少女を見ていた。 僕は少女に救ってもらうことを望んでいた。 「なぁ、お前まだ例の娘にお熱なのか。」 振り返ってみると案の定あいつだった。 「僕はただ・・・。」 言葉が詰まる。 何を言えば良いのだろうか。 そう思っている間にあいつは向かい側の席に腰掛けた。 手元にはコンビニの袋。 何故、わざわざ食堂に来てまでそんな物を食べるのか不思議だった。 「まぁ、俺は別に良いぜぇ。お前がじっくりと考えることは良いことだからなぁ。」 やけに間延びさせた声を発しながら、何処にでもあるようなコンビニ弁当に手をつけ始める。 「だがな、誰とも知らないお前に付き合ってるその娘のことも考えてみろ。」 右手に持った割り箸を効果音がつきそうなほどビシッとかざしてくる。 確かに少女に自分の素性を全く話したことはなかった。 分かるのはお互いに一年生ということだけだった。 「これから交流を持つ気があるんなら、少しはそこら辺も教え合っとけ。」 会話と食事を上手く区別しながら、事を進めてくる。 「お前の気持ちはラヴであろうとなかろうと、初めてだろ、オンナに興味を示したのは。」 いつものようにからかいはせず、単純に相談に乗ってくれているようだった。 確かに異性に対して興味を示したのはこれが初めてだったかもしれない。 あの少女以外にきっかけなんていく幾らでもあった。 「・・・。」 「まぁ、深く考えるな。ただ、自己紹介をしとけってことさ。」 ― 5 ― 僕は言われるままに互いに自己紹介を行った。 いつの間にか、互いに敬語を使うことも無くなっていった。 そして、今まで以上に少女を知ることになった。 少女のことを知るに従って、僕の中で少女の存在は大きくなっていった。 かといって、それが恋愛感情から来るものなのかは分からなかった。 少女と一緒にいる時間が次第に多くなっていった。 少女のことで悩む時間も次第に多くなっていった。 僕は少女に救われたいとは思わなかった。 「ねぇ・・・。」 珍しく1人で帰宅をしようかと思っていた矢先、少女に声をかけられる。 こちらのほうが足は速いのだから、さっさと帰ってしまったほうが良かったのかもしれない。 「あぁ、帰るか。」 少女に何とか聞こえる程度の声を絞り出すと、何気なく座っていた自分の机を後にする。 「・・・ちょっとだけ歩かない。」 既にバス停は目の前だというのに、少女の突然の発言に驚かされる。 元々学校から最寄のバス停まで歩いて5分と掛からない。 そこからバスに乗って少女が降りるバス停まで、20分程度。 バス停でバスが来るまでの時間を合わせても30分前後しか少女と一緒にいる時間はない。 今日みたいに一緒に下校する日もあるが、それでも1時間だった。 学校では基本的に話さなかった。 理由は単純、自分が少女を避けていたからだった。 少女と時間を共有したい反面、1人でいる時間も欲しかった。 自分が少女に抱いている感情が何なのかさえ分からない。 そのことが、少女と一緒にいることを苦痛に変えた。 「・・・別に構わないけど・・・良いのか。」 そう言って、視線を足に持っていく。 実際のところ、歩きたくはなかった。 ここから1つ先のバス停まで1km以上離れていてる。 1人で歩いているだけならまだしも、少女がいることで歩行速度は格段に落ちる。 結構な時間が掛かるはずだ。 「うん、大丈夫だよ。行こっ。」 少女は今までの道から逸れ、別の道に歩んでいく。 今更、嫌とも言えるはずもなく、一緒に行くことにする。 少女の言葉、表情、仕草が僕の胸を締め付ける。 そんな僕の気持ちとは裏腹に、空は青く澄み渡っていた。 「えっ・・・。」 情けない声が口から洩れる。 背中から嫌な汗が分泌される。 自分が半ば願って止まなかったこと。 自分が半ば恐れて止まなかったこと。 いまだ理解できてない。 むしろ、できなかった。 「だから、その・・・。」 目の前の少女は顔を耳まで真赤に染めている。 告白されたのだ。 今やっとその言葉を理解できた。 誰が告白された。 自分、僕、I。 誰に告白された。 少女、彼女、she。 心の中のどこかで歓喜している自分がいる。 心の中のどこかで畏怖している自分がいる。 何故だろう、ここまで心が痛むのは。 「・・・何故、僕なんだ。」 今ほどポーカーフェイスである自分に感謝をしたことはなかった。 でもそれは本当に顔だけ。 視線をおろせば、両手が俄かに震えている。 呼吸も不規則になっている。 ふぅ。 少女に気づかれないように、深く呼吸をする。 目を真っ直ぐに少女に向ける。 いまだ紅潮したその顔は俯いていて表情が読み取れない。 肩に掛かった黒髪が日光を鈍く反射している。 杖を持ったままの右手は自分と同様に震えている。 左手はこれまでなかったほどに強く握られている。 不意に少女は顔をあげる。 その両目には僅かながら、涙目になっていた。 「・・・好きだから。好きだから、好きなの・・・。」 初めは弱々しく、徐々に強い口調。 本当に、本当にその真面目な本気の言葉に僕は何も言えなかった。 何て答えれば良いのだろうか。 僕も同じ気持ちだよ、そんな言葉は口が裂けても言えなかった。 ただ、今は。 時間が欲しい。 少女と向き合えるほどの強い気持ちが欲しい。 半端な気持ちのまま答えられる自分ではなかった。 「君のその気持ちは嬉しい。」 僕は弱いだからこそ逃げてしまう。 「でも、今は君の気持ちに答えられそうもない。」 「だから、もっと時間をくれないか。」 その三言を吐き出すだけで、かなりの精神が削られたのを感じられた。 でも、それ以外に何て言えば良かったのだろう。 考えつかない。 考えられない。 「・・・うん。」 鼻に掛かった声で少女は応える。 少女はまた俯き、その場から動こうとしない。 自分がこの場にいることが、死よりも重い罪にさえ思えてくる。 居た堪れない気持ちを胸に、歩みを再開していた。 少女は動かない。 僕は振り向きさえせずに、口から最後の言葉を吐き出す。 「ありがとう、君の気持ちは嬉しかった。けど―――」 けど、 「苦痛だった。」 そのまま歩みを続ける。 後ろから啜り泣く少女の声が聞こえようとも。 ― 6 ― 少女を見なくなって一週間が経っても、僕には答えが出せなかった。 どんな考えを出しても、心のどこかでそれを否定してしまっていた。 また、僕という人間は外面的に死んでいるも同然だったらしい。 両親もとても心配していた。 クラスメートも1人を除いて僕から離れていっていた。 でも、そんな風に見られていたなんて、僕には全く分からなかった。 どうやら、内面的にも死んでいたようだった。 僕は全てに絶望していた。 「おい、そんな不細工な面してんじゃねぇよ。」 後ろからの声はいつものようにあいつだろう。 でも、僕は振り返らなかった。 一刻でも早く答えを見つけることが、自分の義務だと思っていた。 「ったく、これだから。」 またもコンビニの袋を片手に下げながら向かい側の席に着く。 自分はただ目の前の日替わり定食をゆっくりと口に運ぶだけで精一杯だった。 「お前がそんなんなら、俺があの娘頂いちゃおっかな。」 何気ないあいつのその言葉。 今の自分にはそれがスイッチとなった。 ドンッ。 思いっきり、割り箸を持ったままの右手で机を打ちつける。 食堂は一瞬の静寂に包まれる。 が、すぐに食堂としての仕事を再開した。 「お〜、怖い、怖い。いつものお前だったらンなことしないだろうになぁ。」 あくまでこちらの反感を買うことに勤めているようだ。 混沌が巡っていた頭は、一瞬にして反転する。 あいつに対する怒りが満ちていく。 はずだった。 代わりに、目の前の奴の言葉が浸透していく。 容姿だけは良いのだから、少女を落とすのも難しくはないはずだ。 そんなことを考えるとようやく怒りが湧き始める。 でも、それは 何もできない自分に対する怒り。 そして、 あいつへの嫉妬。 「ふぅ・・・。」 ようやく肩の荷が下りた感じだった。 こんなにも簡単だったんだな、そう思った。 「お前は頭の回転は早いんだから、さっさと気付けよな。」 気付いたこと。 それは嫉妬するほど、好きだということ。 まだ逡巡はある。 でも、好きだという気持ちがあるのは確かだった。 それだけで良い。 「すまないな。」 声も今まで以上にはっきりと自分の耳に聞こえてくる。 今すぐにでも、この気持ちを伝えたい。 今ならはっきりと口に出せる、自分の気持ちを。 「まぁ、待て。気付いたとしてもまだ迷いもあるだろう、一晩家でじっくり考えな。」 その言葉に驚かせる。 でも、今はこいつの言葉が正しいような気がする。 いつの間にか自分がこんなにも信頼している友人ができたことに気付く。 「あぁ。」 食べかけの定食に再び手をつけ始める。 奴もそれを察したのか、コンビニ弁当に手をつけ始める。 自然と笑みがこぼれる。 僕は良い友達を持ったな、そう思える。 「ありがとう、『タクミ』。」 「どぉ致しまして。」 少女がいつも乗っていたバス。 自分も何回か乗ったことのあったバス。 いつもの停留所で下車する最後の乗客。 今それを待っていた。 既に大半の人は降りてしまっている。 もうそろそろのはずだ。 そう思って、バスの出口に歩みを始める。 下車している人々は訝しげにこちらを見ている。 不意に人の流れが停止する。 やはり、時間が掛かってしまうのだな、と心の中で苦笑する。 そうして、歩みを再開する。 バスの出口を塞ぐように立ち位置を決める。 自分の目線を少し上げる。 そこには、驚きと少しの恐怖を抱えた顔をしている少女。 こんな時くらいは漫画の主人公にでもなって良いのだろう、そう思い、決心する。 そして、最初の出会いのときのように右手を差し出す。 バスの段差のせいで必然的に生まれた高低差、少女の腕の長さを考えた上での行動。 「・・・。」 無言のままその姿勢を保つ。 一瞬、少女から目を逸らし、バスの運転手のほうへと向ける。 いつもこのバスを運転している人だった。 白髪交じりの髪をかきながら、こちらに微笑んでくれた。 視線を戻し、少女の顔を真っ直ぐ見る。 恐る恐るといった感じに少女は左手を伸ばす。 その手が僕の手と重なる。 そして、それを思いっきり引っ張る。 前回とは違って、少女はバランス良く地に足と杖を降ろす。 それと同時にバスの扉は閉まる。 そのまま、猛スピードとはいかないものの、馬力を上げてその場から去っていった。 今度は視線を下げて、少女を見つめる。 「僕はまだ、君の気持ちに完全に答えることはできないかもしれない。でも、」 迷いはあったのだろう。 でも、この言葉で全てを終えよう。 「ありがとう、君と共有した時間は僕にとって最高のひと時だった。」 ― The End and The Beginning ― ― 後書き ― 今作品のテーマは題の通りです。 壮大なテーマなんかではありません。 ただ一言、「ありがとう」の重みを味わって欲しいがために今作品を書きました。 それと、誕生日おめでとう御座います。 ありがとう、その一言を期待してます。 ― おまけ ― ― 7 ― 僕はその後、少女と付き合うようになった。 危なっかしい交際だったけど、今でもそれはまだ続いている。 そういえば、以前書き記した彼女が笑う理由を聞いたところ、 「あなたと一緒にいたことが嬉しかった。」 だそうだ。 それを聞いたときは本当に恥ずかしかった。 でも、それと同時に嬉しくも思った。 ようやく気づいたことがある。 僕は彼女に救われたのだと・・・。 「ふぅ、慣れないことはしないものだな。」 溜め息を吐き、テーブルの脇に置いておいたコーヒーを一気に飲み干す。 目の前にはB6サイズの大学ノート。 そこには人には言えない、口に出すことさえ躊躇うほどに赤裸々な文章が綴ってある。 何気なく昔のことを思い出しながら、書き記してみた。 パソコンで打ったほうが綺麗なことには違いない。 しかし、いつでも書ける、いつでも思い出せる。 その点からノートに書き記してみた。 何となく左手の薬指の付け根に視線をやる。 もう12年か・・・。 そう感慨に耽っていると、廊下のほうから軽い足音が聞こえてくる。 「おとーさん、ごはんできたよぉー。」 扉から頭だけを覗かせて、母親譲りの黒髪を垂らした少女が現れる。 「あぁ、すぐ行くよ。」 そう言うと、少女は視界から消え、来た時と同じように戻っていく。 ふと、大事なことを思い出す。 ノートを一気に最後のページまで捲り、下の2行にさらさらと書き記す。 「さぁて、僕も行くかな。」 そう言って、腰掛けていた椅子から立ち上がり、部屋を後にする。 『ありがとう、唯。君は僕を救ってくれた。』 『ありがとう、舞。君の誕生は第二の人生の始まりだった。』 From 神無月 奏 ― The End of One Story ― ― おまけの後書き ― 1つの終着点を書いてみました。 主人公の名前は「神無月 奏」 この物語では大会社の御曹司ということになっています。 ヒロインの名前は「倉橋 唯」(旧姓) この物語では先天的に左足を動かせないことになっています。 それでは、閉幕させてもらいます。 最後までお読みになった方々、ありがとう御座います。 2004.6.13 執筆終了 2004.6.17 贈呈


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