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かくれんぼ


 白い吐息が、澄み切った空気に混ざって溶けていく。
 ふらり、と家を出た私は、今日も近くの堤防へと向かった。ゾゾゾ、と絡みつくかのように服の襟や袖、ズボンの裾から入り込んでくるつめたい風が、石油ストーブでほてりきった私の身体を、即座に冷やしていく。たまらなく気持ちが良い。
 夜も更けた堤防には、人影もほとんど見当たらない。よっこいしょ――、と腰を下ろすのは、木製のベンチ。冷たさなんてほとんど感じない。熱伝導率は少ないからな。
 大きく息を吸い込んで、肺の中を空気でいっぱいにする。取り込まれた酸素が身体のすみずみにまで行き届いていく感覚。ぶるる、と身震いが起きた。
 ぼんやりと眺める川の水面には、ゆらりゆらりと満月が映りこんでいる。視線を上へ上へと移していくと、空一面に星がちりばめられている。どでんと中央に構えるそれは、オリオン座。栄光のベルトをまいたオリオンが堂々と天の中央に居座っていた。

 カサリ、と近くの叢が音を立てた。おや、こんな時期に何かの虫かな? 泣き声は聞こえていないが、季節外れの虫がでたものか。と、思いをめぐらす。一度気にすると、それが何であるかを確かめたくなってくる。それが人間というものか。両の手で叢を掻き分け、ガサガサと音の主を探す。

 それは、サソリ――だ。  はて、日本列島の本州にサソリが出たなんて聞いたことがあったかな。
 大きくはさみ状に発達した触肢に、腹部後端にある鋭い毒針。暗くて細部までは確認できないが、掻き分けた叢の間から見える黒いシルエットは、間違いなくサソリであろう。しかし、お前はどこから来たのやら。どうやって来たのやら。もしや、飼い主の下から逃げてきたのかな。
 そうこうしているうちに、サソリのほうから私に近づいてきた。もちろん私は怖くは無い。身体の大きさがこんなにも違う生き物の、どこを怖いといえばいいのだろうか。しかしお前は怖くないのかい? こんなにも大きい私が怖くないのかい? 踏み潰されれば、そこで終わりなのだぞ。
 私の心を知ってか知らずか、つま先の数センチ先でピタリと停まって、それきり動かなくなった。
 ふふと笑ってしばらく眺めていたが、全く動く気配を見せない。もしや見られていることを恥ずかしがっているのか。はたまた私の何かの殺気でも感じたのだろうか。
 私はまた、上へ上へと視線をずらしていく。依然満月が太陽光を反射してはいたが、先ほどまで堂々と腰のベルトを見せ付けていたいたオリオンが、雲の向こう側へ隠れていた。ははあ、サソリに怯えて雲に隠れてしまったのか。なんとも情け無い奴だな。と思っていると、今度は徐々に雲が晴れていく。急いでつま先の数センチ先へと視線を戻してみると、そこにはサソリが居なかった。元々居なかったのか。今度はサソリが隠れたのか。それともどこかへと帰っていったのか。私には見当もつかない。ただ、サソリが居なくなってオリオンが出てきた。それだけのことだ。
 



 fin




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