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第一刷


 その日はいつもよりも早く仕事が片付いたので、私は古本屋によって帰ることにした。前々から欲しいと思っていた本があったのだが、毎日のようにある残業で、なかなか時間が取れなかったのだ。
 駅前の古本屋に寄り色々と本を物色したあと、ひとつの文庫本を手に取り、レジで会計を済ませた。お目当ての本は売っていなかったものの、面白そうな小説があったので、つい衝動買いをしてしまったのだ。小説の題名は享楽殺人。ホラーものである。
 私は無類のホラー好きである。ホラーと一言にいっても、おばけや幽霊が出てくる類のものではない。鈍器で人間の頭をぐちゃりと潰したり、刃物で腹部を切り付け、はらわたを抉り出したり目玉をほじくりだしたりして人間をごみのように殺していくような、非常に残酷な描写が含まれているものである。そして私は、残虐な描写を見て、頭の中でその場面を想像しては、あのなんともいえないゾクゾクとした快感に浸るのである。

 家に帰った私は、まず夕食をとることにした。冷蔵庫の中には昨日の残り物である野菜炒めがあったので、それを電子レンジで温めなおした。電子ジャーの中には保温でかちかちになったご飯が、一膳分ぐらいは残っていた。今日の夕食はその二つだけで済ますことにした。身体には良くないかもしれないが、早く小説が読みたかったのだ。
 簡素な夕食を済ませた後、私は自分の部屋にあるベッドの上でうつぶせになって布団を被っていた。背中は反っていて、肘で身体を支えながら両手で文庫本を持って小説を読んでいる。小説を読むときの体勢は、いつもこれだ。腰が痛くなることもあるが、やはりこの体勢が一番だと思う。
 すでに感情は高ぶっていた。あらすじは、殺人鬼が次々と人間を殺していく。というものだった。殺される人間は十二人。私は十二回も殺戮の情景が見れるのかと思うと、たまらなくなった。知らず知らずのうちに口元がにやけていて、目には狂気じみた光が浮んでいたと思う。そして一ページ目を開いた。

 二時間、いや三時間だろうか。時間感覚がなくなるほどにも熱中して、私は今、貪るように小説を読み進んでいる。十一人が殺された。それぞれ異なった手法を用いて、殺人鬼は殺していった。斧で頭をかち割ったり、特大のはさみで四肢を次々に切り落としていったり、爆弾が爆ぜて脳みそや内臓が四方に飛散したり。そしていよいよ十二人目。期待からか緊張からなのか、おのずと心拍数は上がり、掌にはうっすらと汗がにじんでいた。
 十二人目のターゲットを、殺人鬼の目が捕捉した。ターゲットは家でのんきに小説を読んでいる。そんなターゲットは、もちろんだが殺人鬼には気がついていない。
 しかしこの小説には不満な点がひとつだけあった。それはすべての殺された人間が、小説を読みながら殺されているということだ。作者はいちいち考えるのが面倒だったのか。それとも何か狙いがあってのことなのか。
 ついにクライマックスへと近づく。このページをめくれば、殺人鬼の虐殺する描写が描かれているのだろう。私は人差し指と親指でページをめくった。
 ――が、そこには何も描かれていなかった。一ページが丸まる白紙なのだ。なんだこれは。大事な場面が抜けている。印刷ミスか? せっかくいいところだったのに、すっかり興ざめしてしまった。今までの気分が台無しだ。仕方ないが、明日あの本屋によって取り替えてもらおう。
 そういえば、作者は誰なのだろうか。今まで読んだことのない文体なので、少し気になったのだ。私は最後のページに指をかけた。
 一九九三年十月二十四日、第一刷発行。殺人鬼。
 殺人鬼? こんなふざけたペンネームを持つ作家がいるのだろうか。私は鼻で笑った。
 ミシリ――という床のきしむ音が背後から聞こえたのは、それからすぐのことだった。そして、揺れる視界の中で、私はあの白紙のページが赤く染まるのを見た。それが私と小説の、最後の一ページになるとも気づかずに。


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